乃木坂がセーラー服を脱がさないでを歌わされていたが、ファンは何も思わないのか。
そもそも歌わされる、と思うか歌っている、と思うかでアイドルに対するスタンスが異なってくる。
平手友梨奈が歌っていたらどうだろうか?今回の乃木坂を許容していた人たちもイメージと違うと言うだろうか。
そうであれば乃木坂はそういうイメージというわけになるがどうなんだろうか。
乃木坂がセーラー服を脱がさないでを歌わされていたが、ファンは何も思わないのか。
そもそも歌わされる、と思うか歌っている、と思うかでアイドルに対するスタンスが異なってくる。
平手友梨奈が歌っていたらどうだろうか?今回の乃木坂を許容していた人たちもイメージと違うと言うだろうか。
そうであれば乃木坂はそういうイメージというわけになるがどうなんだろうか。
庭園美術館に行く
普段は美術館として使われているという旧邸宅そのものを取り上げた展示会
年に一度公開されるらしい
建物はアールデコに魅せられた皇室夫妻が設計したものだそうだが、華美にならずフランスのアールデコ模倣ではない感じがよかった
日本ミックスなのかと言われると、そもそもアールデコに詳しくないのでわからない
ただ、アールデコはミュシャの曲線イメージなので直線やギザギザ、曲線を組み合わせたものがアールデコだという解説をみてひとつ知識が増えた
基本的に写真撮影可能であり、シャッター音がうるさくてうるさくてかなわず、途中からイヤホンを挿した
消して広くない空間で複数の撮影音が響くのは美術鑑賞の場としてはいただけないなあと感じた
海外でシャッター音がするとすぐに日本人だとわかると言われているが、あれは美術館に作品を見に来ている側としては非常に迷惑だろうなあ
あと、展示室の中の大きい鏡で自撮りすな
せめて他に人がいない時にやってほしい
何故かこちらが写り込まないように気を使わなければいけないような気がしてしまう
庭が良かった
背の高い木立のなかに緑が濃い芝生の空間があり、その中心に白いオブジェがおいてありどう撮ってもいい画になる
美術館で知識をひけらかしている人を見るといい気がしないのだが、それは自己顕示欲が出すぎているからか
あなたの話を聞きたいとも教えてほしいとも言っていないのに話してくるのは相手のことを全く考えていない行為といえるだろう
そもそも美術館は美術を見にきているのであるという部分をガン無視している
これはtwitterのリプ欄と同じかもしれない
だとしたらtwitterは自由な場だからいくら引用リツイートで筋互いな自分が批判だと思いたいだけの思い込みをぶちまけるのは無礼であるし相手への作法がなっていないといえる
昨日やっと窮鼠はチーズの夢を見るの映画版を見た
原作版は中学生の私に強烈な印象を残していたため、おそるおそるの鑑賞である。
ブックオフに繁々と通い、サブカルへの道を切り開いていた私だが、今日び中学生の頃にブックオフで何を読んだかすらほとんど覚えていない。
そんな中で印象に残っているのがこちらの水城せとな先生の作品である。
愛だの恋だの一ミクロンも理解していないし、作品の中のディテールなんてのもほとんど理解していないので話の筋のみ追っているような形だったが、なんかすごいなんかすごいぞと強烈な印象を残していった。
かく言う映画はというと、これはこれで良い作品だと思った。
視線の演技がまずすごい。
漫画でもあったのだろうか?雑な感覚しか持ち合わせていない中学生私には視線の表現なんて捉えられていなかった。
映画のキャスト発表を見た際には、今ヶ瀬が成田凌?としっくりきていなかったが、別に漫画のキャラクターとキャストが似てるかどうかで作品の質が変わるもんでもないなと実感した。
なんせ中学生の私が衝撃を受けたストーリーだ。
映画の結末は漫画とは異なっていたが、映画の方が救いがあるかもなと思った。
付き合ったり別れたりを繰り返していくのだろうなと余韻を持たせて終わったのではないかと思う。
今がせがゲイでない大伴を信じきれずに逃げて、また付き合ってを繰り返していてほしい。
本当に好きな人に対してはとてつもなく臆病になってしまう今ヶ瀬が愛おしいものです。
石岡瑛子展
先週中頃にソウイチロウさんがインスタに行った方がいいと投稿していたので、その場でチケットを取り人生で初めて東京都現代美術館に足を運んだ。
宇垣美里さんがラジヲで話をしていたり、インスタやツイッターっで話題になっていたりと頭の片隅にあったが強烈なポスターの印象のみで石岡瑛子という存在は今まで知らなかった。
どちらかというと、ポスターのからはアバンギャルドな印象を抱いたので、苦手な分類かなと思った。
入った瞬間から、ああ、こんなすごい人がいたのかと圧倒された。
血が汗が涙が表現できるか。
世にはこれほどに強い意志を持って強い表現を行うことができる人がいるのかと。
キャッチコピーも石岡さん自身が考えていたのだろうか。
言葉も一つの媒体としていたのだとすれば意味のない悔しさが生じる。
全体的にえぐられたのだ。
会場内に響く石岡さんの声。
これがないと生きていけないってくらいのもの。
私が持っていないもの。
憧れの気持ちだけでなあなあにしてきたもの。
現在の自分のつまらなさに目を向けさせ、抉り取ってくる言葉。
なにがnobody's faultだ全部あなたが歌わせてプロデュースしたものではないか。
ダンスの理由?私が踊れば世界が許すと言うならば?許さない世界線をつくったのはあなたではないのか。
と感じずにはいられないのだが、これは同時にパフォーマンスしている彼女たちも侮辱することになるのかなと最近は考えている。
先の考え方では、あくまで彼女たちは秋元康に比喩的にも現実にも踊らされている表現媒体であり、自分たちの意思が無いということになる。
そもそも私は彼女達が大好きであるし、常にどんな道を選んでも幸せであってほしいと思っているので、彼女達が秋元康グループのオーディションを受けて、活動をしているという時点でこの話は無意味になる。
おしまい
心の底から営業続けたくないなと思ったし、この会社で楽しく働くためにはこの会社が提供するものを好きになる必要があるが私はその内容自体は好きではない
会社はいい会社であるが、私の考えrがあまかったのである
働くという行為を好きになるために、この会社の領域を時間外で勉強するほどの熱量はない
10時30分位に起きる
昨日目覚ましを9時半と10時半にかけてスヌーズをしながらやっと起きる
昨日は寝て過ごしてしまったので取り返す気持ちで起きることができた
洗濯、いい加減返さなければいけない図書館の本、昨日目をつけていた駅前のマルシェのパンを組み立てる
洗濯2回まわす間に掃除機をかけてご飯を食べて映画を見た
映画は15分くらいだけど
本を返しに行くと1冊持ってき忘れたことが判明した
借りるためにはまた来ないといけない
駅前のマルシェは本日は開催していなかった
今日は動き出しが早いからかしくじっても苛ついたりしない
更に近所のデニーズが24時間営業ということが判明したので寧ろ嬉しい
おとなしく帰って洗濯物を干す
久々になめこの味噌汁と麻婆春雨を食べる
美味しいね
やっぱり少しでも添加物少なめがいいなぁ